プーアール舎 peu/art cottage

20世紀美術を研究しています

採録:「池田龍雄 画家が背負ったミッション」基調講演:光田ゆり

みなさま、こんにちは

プーアール舎です。

佐賀県立博物館・美術館 調査研究書 第48集』が2024年3月末に刊行されました。

そこに23年10月1日実施の

 基調講演「池田龍雄 画家が背負ったミッション」:光田ゆり

 クロストーク 池田忠利氏(アーティスト・龍雄実弟)、古賀史生氏(佐賀新聞記者)
         光田ゆり、野中耕介 (同館学芸員)

採録されています(加筆訂正をさせてもらいました)。

池田龍雄(1928-2020)の出身地における初めての展覧会、回顧展として佐賀県立美術館40周年特別展「あそび、たたかうアーティスト 池田龍雄」が開催された折の関連イベントでした。

池田先生がご生前、心から望みながらなぜか実現できませんでしたが、ようやく。

 

プーアール主宰は学芸員かけ出し時代からずっと、池田先生のご教示を受けることができました。彼は1950年代~70年代まで幅広く、抜群のご記憶力と広い人脈から、多くを知っていて闊達に教えてくださるのです。自分は「池田先生の70年代の営為を位置づける」という先生からの宿題を実現できていません。その反省の一部を、クロストークで話させていただきました。

以前、大規模な池田龍雄展が全国を巡回したとき、各館に池田先生は作品を少なからず寄贈されました。その時、購入された作品は1点もなかったそうです。小規模館の学芸員だった微力の自分には言う資格は全くないのですが、池田先生はなぜ与えるばかりで得ようとしないのか、なぜ先生には何も与えられないのだろうと思ってしまいました。あれほど長い間、日本の現代美術の良心ともいえる存在だったのに、ちゃんとした賞や立派な表彰からも無縁でした(機会があれば自分は推薦したのですがやはり無力で)。

でも、彼はそんな愚痴など笑い流すに決まっています。

30年くらい前でしょうか、「美術館を考える」イベントを行ったとき池田先生から

「僕は美術館に何も期待はしてませんよ」と笑顔で言われて、衝撃を受けたことを忘れません。自立した、自由な心ってこういうことなのだろうか、そうしたものは美術館には入ってこないのだろうか、そんなショックでした。

改めて、池田先生をなつかしく思い出します。